友人との別れ、うつ病、そして、整体との出会い

高校を卒業し、大学受験には失敗し、フリーターでのアルバイト生活をしていた時に大切な友人がうつ病で亡くしてしまいました。

昨日まで、笑っていても明日も会える事なんてないという事を教わった事。

彼にあの時、なにか、伝えられる事があれば、違ったかもしれない。何か、身体の事でやれたら違ったかもしれない。
一生で一度の後悔をした日でした。

それから、家庭不和、対人関係に悩み、人間不信になっていくのでした。

ご飯も食べる事もなくなり、14日間の絶食。ミイラみたいになっていました。
段々と生きる気力も無くなっていき、死にたいという思いと死にたくないという思いが起きて、助けてほしいと1人で精神内科に行くが紙に今までの経緯を書いてきてください。と言われたので書いていくとほとんど読まれず、鬱的なので精神病棟を勧められ、お医者さんもダメなのかと、絶望し、生きるか、死ぬか、生きるなら自分でどうにかするしかない!
と思いました。

バイトをする中で整体の学校に通っている方と出会います。

練習台になってくれないかと誘われ、初めての整体を受け、それは一般的な、手でやるやり方と違い、特殊な技術で足を使って、行う整体でした。

施術を受けた時に小学校からの右肩の肩こりはなくなったかのように軽い!!と身体が変わり、心も少し楽になったのです。

すぐには始めずに1年後、東洋整体専門学院へ入学。

整体を始め、なりたい理想像を掲げた

整体を始める中で今、思っても常識も言葉遣いも知りませんでした。
恩師の先生には本当、一から教えて頂いて、今でも感謝の想いでいっぱいです。

整体を始めていくにあたって、学校目標と月1の自分の目標を立ててやる学校でした。

そして、自分がどうりなりたいのか?を決めます。

僕が掲げた、なりたい理想像は

「目に見える範囲の人は支えられる人になる!」

という事でした。

大切な友人を亡くした経験から、もう誰も自分と関わる方の中で同じ、想いをしてほしくない!

そんな、想いから出来た理想像。
その為には今、何が足りなくて、何をしていかないといけないのかを書き出して、整体の技術や知識だけでなく、自分磨きの一つ一つの挑戦が始まりました。

学校卒業とインターン

整体の学校の仲間や友人、家族に練習で受けてもらい、少しずつ、出来る事が増えて、その度に身体が楽になったと言われる事が嬉しかったのを今でも覚えています。

バイトをしながらの学校生活が2年間が終わり、1年3ヶ月のインターン制度でした。

この期間は無休での修業期間なので朝から夕方まではバイトをして、夕方から深夜3時まで営業と昼から、深夜3時までの整体院だったので終わりが朝方になる事は珍しくはなかったです。

寮もあり、1Kの部屋に三段ベットそこに3人で住む。
プライベートもなく、今ではすごい生活だったなと思います。笑

その中で練習とは違う現場で先生から教わった事をそのままやって、上手く行かない事ばかりで技術で通用しない事もあったり、コミュニケーションが不足してるところや、人に合わせた対応、また足りない課題が出てきて、それを一つ一つ課題と向き合う事から、少しずつ出来る事が多くなり、自分が成長した分だけ、来て下さる、お客様の笑顔や喜びに変わっていったのが自分にとって、何よりも嬉しい事とその気持ちは今も変わらず、これからも大切にしていきたい事です。

そして、社長の技術テストを5回落ちて、6回目にて晴れて、合格をしました。

私が整体をする理由3へ続く